2017.08.  123456789101112131415161718192021222324252627282930 2017.10.
『叫』 基礎風景がデン!/RYO

二千年代後半、現代の心象風景に、黒沢清『叫』を採用します。海。泥。港湾地帯。

本当に大切で一瞬も忘れてはいけない事を忘れてる、忘れさせてもらっているから、どうにかこうにか自分を整えてやっていく事が出来る、過去に押し込めて忘れて許されて、でも、自分を整える事よりもっと大切な事があるから、地盤は緩み、泥と海水が浸食し、港湾地帯は液状化する、女がどろりとやって来る。
その女が、やっとやっと、整った自分を許さないと言ってくれる。

地震で液状化する湾岸地帯、風景は荒涼ともせず豊穣でもなく、自分がただ在らせられる、受動的な存在として在らせられてしまう、この風景に晒されると人はただ在らせられてしまって、泥濘が女、全ての殺人者は自分、大きな大きな、人には不可能なんじゃないかという程の許し、そんな許し無しに自分は存在できず、しかも許されていることを忘れてる、忘れてはいけない事を忘れてるから在れる、思い出せば在らせられる、在れると在らせられるの境界が、この映画に写ってる。

幽霊を、分かり合えず触れられない他者の輪郭を、明確にしたときの安堵と恐怖。僕ではない何かが、はっきりと目の前にいる。遠いのに目の前にいて、これはしっかりと自分ではない。
でも地盤はいつだって緩んでる、自分はいつだって緩んでる、しっかりと自分ではないものが緩んだ地盤から滲み出て、本当にこれは自分でないのか、本当に大切で忘れてはいけない事を思い出させてくれるこれは、なんと名付けたらよいのか。
いつだって緩んだ地盤から幽霊は叫べ、名付け得ない対象、名付け得ない自分、それら名付け得ない状況に、緩んで泥々の状況に、緩んだ自分が重層的に過去も他者も含み含まれ状況そのままになるように、忘れていなくてはならなかった忘れてはいけない何かを、思い出して忘れて、人には不可能な程の許しに気が付ける様に、在れると在らせられるの境界にいつでも晒されてることに気がつくように、もっともっと、緩んだ自分から幽霊は叫べ。

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( 2007.08.11 ) ( 未分類 ) ( TRACKBACK:0 )
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